9月11日 公衆電話の日

9月11日は「公衆電話の日」です。
1900年の9月11日に、日本で初めての公衆電話が東京の新橋と上の野駅前に設置されたことを記念して制定されました。
日本で電話業務が開始されたのは、1890年の事でした。
東京と横浜に電話局が設置され、同時に東京に15か所、横浜に1か所の電話所が設置され、電話を持っていない一般市民のために公衆電話が設置されました。
しかし、まだ当時は一般市民の電話に対する認識が欠如していたことと、加入者が限定されていたために、利用する人は少なかったが、少しずつ利用者が増えていきました。
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それまでは電話局の中にだけ設置されていて公衆電話でしたが、1900年には新橋駅は中東待合室の前の通路、上野駅が駅長室の前の通路に置かれ、現在の街中で見かける公衆電話の走りと言えるものになりました。
当時の公衆電話は公衆電話ではなく自動電話と呼ばれていました。
ダイヤル式で直接相手の電話にかかるのではなく、交換手に通話接続を依頼して、必要に応じて5銭硬貨か10銭硬貨を投入するものでした。
この時の通話は市内通話が5分で15銭と定められていましたが、当時は15銭あれば最低限の生活ができるような高額な金額であり、利用者が全く伸びませんでした。
1920年になると通話料が下がり利用者も増え、1925年になるとダイヤル自動方式が採用されました。
この時に自動電話から公衆電話と呼び方も変わりました。
明治後半から大正、昭和初期にかけて普及し発展した公衆電話でしたが、第二次世界大戦の空襲により壊滅的な被害を受けます。
戦前には全国で5千台以上あった公衆電話が、終戦直後には623台にまで激減してしまったのです。
その後も戦後の物資不足で電話機の設置が進まなかったり、インフレで通話料金が上がり利用者が激減したことで、なかなか復興が進みませんでした。
1951年に商店等におかせてもらう、通称「赤電話」と呼ばれる委託型の公衆電話がはじまると、電話線を自由に引くことができなかった時代の集客効果を見込んだ商店などがこぞって置くようになり、公衆電話が一気に全国へ広まりました。
この時の料金システムは通話料を利用者が商店等へ支払う、という形式でしたが、その後硬貨投入式の公衆電話も開発され、公衆電話が街中で見られるようになりました。
現在では携帯電話の発達により公衆電話の設置数も減ってきていますが、携帯電話を持たない人や、災害時の伝言ツールとして重要な役割を担っています。
携帯電話を使うのももちろん良いですが、災害時には公衆電話の回線が優先されます。
万が一の時に備えて、街に出かけた際には、どんなところに公衆電話があるのかをチェックしてみてはいかがでしょうか?
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