4月8日 忠犬ハチ公の日
4月8日今日は何の日でしょう?

4月8日は「忠犬ハチ公の日」です。
1936年から4月8日に慰霊祭が行われていることから、忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維維持会が制定しました。
日本国内で映画化やドラマ化もされ、2009年にはリチャード・ギアの主演でアメリカのハリウッドでもリメークされた、忠犬ハチ公の物語。
日本人だけではなく、世界中の人々の心をつかんで離さない感動の実話を産んだ忠犬ハチ公は、1923(大正12)年11月10日に秋田県北秋田郡二井田村(現在の大館市)で誕生しました。
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愛犬家だった上野は、もちろんハチを大切に育てましたが、他にも上野が飼っていた2頭の犬にもかわいがられていました。
毎朝、上野が出勤するときには、玄関先や門の前で必ず見送り、時には渋谷駅まで送り迎えすることもありました。
しかし、ハチを飼いはじめてからわずか1年4か月後の1925(大正14)年5月21日、上野は突然、脳溢血で倒れ亡くなってしまいます。
この日から3日間、ハチは何も食べなくなってしまい、4日後に行われた通夜の時には、他の2頭の犬と一緒に渋谷駅まで上野を迎えに行ったそうです。
その後、ハチは何度か飼い主が代わりましたが、亡くなった上野を慕うあまり、散歩中に渋谷方面へ脱走することがたびたびあったことから、最終的に再び渋谷の上野家へと戻されました。
そして、上野家へ出入りしていて、ハチも慕っていた植木職人の小林菊三郎に預けらることになります。
しかし、小林家でも大切に扱われていたのにも関わらず、ハチは上野の姿を求めて、渋谷駅で上野の帰りを待つようになります。
食事のために小林の家に戻る時にも、必ず上野の家に回って、窓から中をのぞいて上野の姿を探していたといいます。
しかしそんなハチは心無い通行人や商売人、子供たちからいたずらや虐待されることもありました。
そこで、日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉が1932(昭和7)年に新聞にハチの事を寄稿すると、その内容に人々は心を打たれました。
新聞記事をきっかけにハチの人気が高まったことから、渋谷駅でもハチが寝泊まりすることを許しました。
1934年には映画「あるぷす大将」に出演し、現在でもこの映画で生きているハチの姿を見ることができます。
現在でも渋谷駅の前にある、ハチ公の銅像は、ハチの物語に感動した彫塑家・安藤照が製作を希望したために、日本犬保存会からの依頼と言うことで製作されることになりました。
小林は毎日のように、代々木の自宅から初台にある安藤のアトリエに、銅像のモデルとなるハチを連れて通っていましたが、製作には時間を掛ける予定で、八の生前の完成を目指したものではありませんでした。
ところがこの頃に、ハチに関することを上野から託されていると自称する人物が、ハチ公像制作のためとして絵葉書の販売などを始めました。
これを阻止するために、安藤は急ピッチでハチ公像を製作する必要が出てて、まだハチが生きているうちに銅像が建てられました。
1934年3月10日に行われたハチ公像の除幕式には、上野の未亡人と一緒にハチも出席し、盛大に行われました。
しかし、その翌年の3月8日の朝、ハチは渋谷川にかかる稲荷橋付近の路地で亡くなっているのを発見されました。
ハチの死は多くの人の悲しみを誘い、ハチ公像は花がいっぱいに飾られ、葬儀も16人の僧侶による読経が行われ、人間並みかそれ以上に盛大に執り行われました。
ハチは上野の墓に寄り添うように埋葬され、遺骸ははく製になって現在は東京・上野の国立科学博物館に所蔵されています。
ハチ公像は太平洋戦争による金属類回収令により1944年に一度供出されてしまいました。
しかし忠犬ハチ公の物語は戦前から外国にも知れ渡っており、GHQの将校達の中にも愛犬家が少なくなかったことから協力も得られて、戦後すぐの1948年に安藤の息子・士によってふたたび製作され、現在に至っています。
ハチが上野に飼われていたのは、たった1年4か月と言う短い期間でした。
しかし、ハチが上野の姿を求めて渋谷駅に通い続けたのは10年間。
主人との固い絆で結ばれた忠犬の物語は、やはりいつまでも私たちの心を打ち続けますね。
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