4月16日 チャップリンデー
4月16日今は何の日でしょう?

(Wikipedhiaより引用)
4月16日は喜劇俳優のチャールズ・チャップリンの誕生日で「チャップリンデー」です。
チャップリンは1889年の4月16日にイギリス・ロンドンで生まれました。
父はチャールズ・チャップリン・シニア、母はハンナ・チャップリンで、2人ともミュージックホールの俳優でした。
しかしチャップリンが1歳の時に両親は離婚し、チャップリンは母親の元で育てられます。
チャップリンが初めて舞台に立ったのは、5歳の時でした。
舞台に立った母親が喉を潰して歌えなくなってしまったことから、日ごろ舞台裏で母や母の友人たちを笑わせていたチャップリンを支配人が急遽舞台に立たせます。
そこで歌を披露したチャップリンは大喝采を浴びますが、母はこれ以降舞台に立つことができなくなり、生活は困窮を極めることとなります。
スポンサーリンク
そして、兄弟は生きるために床屋、印刷工、ガラス職人、新聞や市場の売り子など、ありとあらゆる職業を転々とします。
時にはコソ泥まで働くこともありました。
しかしその一方で兄は弟を俳優養成所にも通わせて、チャップリンは演技力を磨き、1899年に木靴ダンスの一団「エイト・ランカシア・ラッズ」に加わります。
チャップリンと言えばタップダンスが有名ですが、タップの腕前(足前?)はここで磨いたものです。
1908年に兄の勧めで名門の劇団フレッド・カーノーに加わると、若手の看板俳優になり、1913年に巡業で行ったアメリカで、映画プロデューサーでサイレント映画全盛期のスクラップ・コメディの創始者であるマック・セネットの目に留まり、キーストン社に入社します。
チャップリンと言えば、山高帽に窮屈な上着、ダブダブのズボンにドタ靴、ちょび髭ステキという格好がトレードマークになっていますが、これはセネットから「面白いかっこうをしろ」と言われたことがきっかけで考え出した格好でした。
その後、何度か映画会社を移籍しながら、いくつものヒット作品に出演すると、1918年にハリウッドに自身の撮影スタジオを設け、ワーナーブラザーズと契約を結びます。
このスタジオで、後世にも長く残る名作を数々と生み出すこととなります。
チャップリンと言えば、喜劇王という異名が付いていますが、その作品には抱腹絶倒の笑いの中に、どこか寂しげな心の闇が垣間見え、鋭い政治や社会への風刺がちりばめられています。
これらは厳しかった生い立ちや、第一次世界大戦後にヨーロッパ一周旅行をした時に目の当たりにした戦争の傷跡に影響されているところが多くあります。
チャップリンの作品は政治的なメッセージが強すぎるために、1932年に日本へ立ち寄った際には国粋主義的な士官によって暗殺が計画されたり、第二次世界大戦後には共産主義者とみなされてアメリカから追放されたりしてしまいます。
しかし、社会の矛盾を笑いで吹き飛ばすチャップリンの演技は、世界中の人々に大きな夢と勇気と生きる活力を与えてくれました。
何十年経っても色あせることが無いチャップリンの映画の魅力、今日はちょっと再確認してみませんか?
スポンサーリンク