4月12日 世界宇宙飛行士の日
4月12日今は何の日でしょう?

4月12日は「世界宇宙飛行士の日」「ユーリーズナイト」、
ロシアでは「宇宙飛行士の日」です。
1961年の4月12日に、ソ連が世界で初めての有人宇宙衛星船「ボストーク1号」の打ち上げに成功したことに因んでいます。
この時の人類初の宇宙飛行士はユーリイ・ガガーリン。
ガガーリンの「地球は青かった」と言う言葉は、今でも語り継がれる名言ですね。
4人兄弟の3番目として生まれたガガーリンは、後に苦労人から出世したと語り継ぐために「農民の子」とされることが多いのですが、実際には父は教養豊かで優秀な大工、母も読書家のインテリ一家に生まれます。
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そこでエアロクラブに入って、軽飛行機での飛行を楽しむようになったガガーリンは、飛ぶことの楽しさに取りつかれるようになり、工業学校を出るとパイロットを志して、空軍士官学校へ入り、卒業すると空軍のパイロットになります。
1960年代に入ると、ソ連では宇宙開発が本格的に始まり、空軍のパイロットの中から宇宙飛行士の選抜が始められました。
ガガーリンも20名の候補者の中の1人として、身体的・精神的な耐久性をテストされながら、厳しい訓練を受けていました。
世界初の有人宇宙飛行が決定した時、パイロットの候補はガガーリンと2人目の宇宙飛行士ゲルマン・チトフに絞られました。
この2人が選ばれたのは、身体的・精神的な強さだけではなく、当時のヴォストーク宇宙船はとても小さくて、大柄の人は乗ることができなかったことから、身長が低かったことが決め手となったようです。
ガガーリンの身長は158cmでした。
またガガーリンは労働者階級の出身者であったことが、当時社会主義であったソ連の国民に英雄としてアピールできる点として、人類初の宇宙飛行士に選ばれるポイントにもなったようです。
1961年4月12日にガガーリンはヴォストーク3KA−2で世界初の有人宇宙飛行に飛び立ちました。
ガガーリンを乗せた宇宙船は地球の周回軌道に入ると、大気圏外を1時間50分かけて1周して帰還しました。
当時は宇宙船とともにロシアの牧場に着陸したと伝えられましたが、本当は高度7000mで座席ごとカプセルから放り出され、パラシュートで降下するという、とても危険を伴う帰還でした。
飛行中のガガーリンに中尉から少佐へ特進したと言うニュースが伝えられましたが、これは当時の高官はガガーリンが生還できる可能性は低いと考えていたために、生きているうちに耳に入れようとしたのだとも言われています。
このことからミッションがどれほど危険なものだったのかがうかがえますね。
ガガーリンが刻んだ人類の偉大なる第一歩は、その後のソ連とアメリカの熾烈な宇宙開発競争によって、大きく進展し、再利用できる人類初の宇宙船スペースシャトル計画から、現在は国際宇宙ステーションでの研究実験が行われるまでになっています。
この4月12日には、世界中でガガーリンの功績を称え、ユーリーズ・ナイトとして世界規模で宇宙に関するイベントが開かれています。
またロシアでもこの日を宇宙飛行士の日として、ガガーリンの像があるモスクワ州コロリョフから、ガガーリンが葬られている赤の広場と、宇宙飛行士通りを通って、宇宙飛行士も埋葬されているノヴォデヴィチ墓地までのセレモニー行進を行います。
21世紀に入り、現在では宇宙ビジネスが新しいフロンティアとして大きく注目されるようになってきています。
宇宙がこれから人類に開いてくれる大きな恩恵の第一歩を、偉大なる勇気をもって刻んでくれたガガーリンの足跡は何物にも代えがたいものですよね。
宇宙でのミッションは本当に壮大です!
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