今日は何の日 毎日記念日いろいろ

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12月14日 南極の日


12月14日今日は何の日でしょう?

12月14日 今日は何の日 毎日記念日いろいろ 南極の日



12月14日は「南極の日」です。

1911年の12月14日にノルウェーの探検家ロアール・アムンセンと4人の隊員が人類で初めてな極点に到達したことを記念して制定されました。

ノルウェーの海運業を営む一家の四男として生まれたアムンセンは、16歳の頃にナンセンがグリーンランド横断に成功したニュースを聞いて、探検家になることを心に決めました。

医師になって欲しいと言う母の願いで一度は大学の医学部に入学しましたが、21歳で母が亡くなると大学を辞め、船乗りになり、探検隊に加わります。

1987年から89年にかけて航海士として参加したベルギーの探検船ベルギカ号が、南極海で流氷に閉じ込められ身動きが取れなくなったことで、思いがけずに人類初の南極越冬隊の一員となりました。


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1900年ごろには、欧米の探検家への期待は、大西洋側から太平洋側へ出るのに、北アメリカ大陸の北端を通る北西航路を無事に通過することでした。

16世紀以降、たくさんの探検家が挑んできましたが、氷に阻まれて誰も成功することができずに、19世紀にはイギリス海軍の艦隊が全滅する等、多くの犠牲者を出していました。

1903年にはアムンセンは比較的小さい船で出港しましたが、途中で氷に阻まれ船が勧めなくなり、2回の越冬を経験します。

その間にイヌイットから犬ぞりの使い方や獣の皮を着る方法など、その後の南極点到達に役立つ、雪と氷の世界で生き残るための技術を教えてもらいました。

1905年にビクトリア島の南を公開して、カナダの北極諸島を抜けてボフォート海へ出ることに成功しましたが、ここで流氷の閉ざされて3度目の冬を越すことになりました。

そこで彼は氷の上を800km歩いて渡り、アラスカ州イーグルに向かいました。

徒歩で北西航路横断を成し遂げるとすぐに船に帰って、次の夏には船でのベーリング海峡横断に成功しました。

北西航路横断の次にアムンセンが目指したのは北極点到達でしたが、アムンセンが準備を進めている最中に、ロバート・ピアリーが北極点到達を果たしたことを知り、目標を南極点到達に変更しました。

しかし出資者や隊員たちの反対を恐れたアムンセンは表向きは北極点挑戦のまま準備を進め、1910年8月にノルウェーを「北極探検のため」に出発しました。

しばらくは北極挑戦でも航路は南に向かうために誰にも怪しまれることなく南極を目指したアムンセンは、途中で南極挑戦を隊員たちに明かし、反対する者は下船しても構わないと告げましたが、アムンセンの真意を理解した隊員たちは満場一致で賛成しました。

出資者たちの手が及ばないところまで来てから、南極挑戦を公表しましたが、この時にも出資者たちに気を使ったのか、「南極点に到達した後、北極点を目指す」としました。

アムンセンとほぼ同時期に、ロバート・スコットの隊が南極点を目指していました。

しかしスコット隊はアムンセン隊よりも100km長い距離を経路だったことと、アムンセンにはイヌイットから学んだ犬ぞりや、耐水性に優れたアザラシの毛皮服といった、極地を生きるための技術を持っていたことにより、アムンセンの方が先に南極点に到達したと考えられています。

最終的に4人で南極点に到達したアムンセンたちでしたが、作ったテントには万が一帰りの途中で遭難した場合に備えて、自分たちが到着したことを証明するための手紙を後から来た探検者に託すように残してあったといいます。

その後、アムンセンは飛行艇や飛行船による北極点通過も行い、人類初の両点到達を成し遂げる等精力的に活動していましたが、1928年に遭難した飛行船イタリア号の捜索に、ラタム47という飛行機で向かい、行方不明となりました。

ラタム47の部品は発見されましたが、機体や遺体は発見されていません。

アムンセンたちが切り開いてきた南極への道。

現在南極は南極条約によって、どこの国にも属さず、平和的に利用されるものとされています。

南極と言う広大な大地が、人類の平和のために活用されることを願いながら、今日はアムンセンたちの偉大な業績を偲んでみましょうか。



12月14日今日は何の日?毎日記念日いろいろ!



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